わたしは、かなり昔から
海外のボードゲーム(国内産もありますが)を趣味にしてきました
このブログでも、いくつかそれについて記事にしています
しかし、このホビーもどうやら折りかえし地点にきたようで
識者によれば、退廃期にむかっているという意見すらあるようです
わたし個人としては、その意見に賛成しかねる部分が多いのですが
いずれにしても閉塞的な状況があり、
それが前途を見えずらくしているようです
そんな現状に危機感をもった
ボードゲームの紹介サイトを運営している友人は、
現況を打開するひとつの方策として、
ゲーム批評の確立を挙げています
これは非常に興味深く、かつ実現のむずかしい提言だと思います
しかしながら、わたしも批評記事の存在が、
ボードゲームをより楽しく、奥深いものにしてくれるものと信じています
そこで、その実現にむけて、かんたんなメモながら
ゲーム批評家に望まれる資質について思いつくままに書いてみたいと思います
①すぐれた文章家であること
(もっとも必要であり、もっとも困難な能力。理想をいえば、説得力と信用を兼ねそなえた叙情的な魔法使いであれ)
②勝敗の呪縛から逃れられること
(ゲームには勝敗があります。されど批評する人間がそれに一喜一憂するのは論外)
③評価軸がしっかりしていること
(自分の好きなゲームのジャンル、ゲーム名をはっきり明示しておくべきです。無理に万人向けを誇る必要はありません。音楽評論家だって、すべてのジャンルを網羅しているわけではないのですから)
④信頼のおける仲間に恵まれていること
(ゲームを批評する際には理想的な環境で臨むべきです。そのためには知己であり、且つ志向の異なる仲間と卓を囲むのが望ましいと思います)
⑤毀誉褒貶を顕著に
(悪口は面白い。でもそればかりだとゲームを遊ぶ人はいなくなります。褒めそやしも同様です。つまり批評には罵倒や賞賛などさまざまな刺激が必要になるわけです)
⑥独自の視点で勇気をもって
(ブランドショップ(SdJとか‥)に陳列されている宝石が高価なことは、みんなが知っています。しかし、道ばたに転がっている石をダイヤモンドだと躊躇せず謳う人物はまれです)
⑦身銭を切ること
(極論であることは承知のうえで。血を流さなければ痛みは十分伝わりません。悦びもまた然り)
まだまだありそうですが、思いつくところはこんなところでしょうか
逆に、批評に邪魔なものも(ちょっと辛口)
①知識
(たいていのひとは、この海でおぼれます)
②似たような志向の仲間
(批評も単色になりやすい。どんな色?それは集団思考で決まることでしょう)
③シニカルな視点
(①の海でおぼれた人は、その結果、目が曇ります。残念ながらゲーマーさんの多数派といえるでしょう)
④吝嗇
(たまにはさぁ‥以下略)