先日のブログのコメント欄で共感のお言葉をいただきまして、とても嬉しくなりました
というのも実はわたし自身が、わたしの周囲のゲーム愛好者の間で囁かれる、
近年の年間ゲーム賞に対する冷笑的な扱いに不満を抱いていたからです
なかでもよく聴く批判は、「もっとよい作品があるのになぜ選ばない」というもの
言葉には発されないですけれど、それは選考委員にたいする、
「見る目の無さ」を責めるような不遜な態度に近いものが混じっているように思われます
そして、"カタン"や"エル・グランデ"、"ティカル"等が大賞に輝いた、
かつての”全盛期”の復活を願っているふしがあります
しかしわたしには、選考委員の目が節穴だとは思えないのです
実際の統計がわからないので、完全な推測になるのですが、
選考委員には過去にこれらの"傑作"を大賞に選んでしまったことによって、
業界の将来的な危機を経験したのではないかと考えています
それはセールス的なものかもしれませんし、
ひょっとすると文化的退潮といった漠然なものかもしれません
そこで、わたしが辛うじて想像できる範囲の危機を考えてみますと、
仮にわたしたちゲームマニアの納得するような選択を続けた場合、
やがて一般の消費者とボードゲームの接点が完全に遮断してしまうのではないか、
という恐ろしい不安が浮かんできます
例えばわたしたは、"人生ゲーム"や"ジェンガ"、"モノポリー"しか買わない、
一般の方の選択眼や無知をしばしば嘆きますが、
それらを購入してくれる方が居なければ、
業界の規模は見る影もなく縮小してしまうことでしょう
そうなると、ハナヤマのカタンやバンダイのチケット・トゥ・ライドも、
日の目を見なかったかもしれません
そしてこのような事情はドイツでもあまり変わらないのではないでしょうか
つまり年間ゲーム賞は最高のゲームが選ばれるのではなく、
業界の"表の顔"として一般の方にお披露目するに相応しい、
愛らしく親しみやすい作品に価値を求めるべきである、
そのような結論に到るのは至極自明といえるでしょう
翻ってわたしたち愛好者の罪は、氷山をゲームにたとえた場合、
表面に浮かんだわずかな一角の作品に目を奪われ固執しすぎて、
それらを支える海中の膨大な作品群を蔑ろにしていることにあります
海中に沈んでいる作品のなかには当然、年間ゲーム賞作品が含まれているわけです
愛好者には見向きもされなくなって久しい彼らですが、
ゲーム売場で"ドイツゲームの代表"として愛想を絶やさず、
数多くの"普段ゲームとは縁遠い人"の手に渡り続けているのです
それは"売れ線狙い"といった浅慮で選ばれたわけではなく、
有識者が議論に議論を重ねた上で選抜された、
単純で親しみやすく、それ故(ある意味)凡庸な作品
その選考に至る過程は過酷なもので、
具体的な内容はTGIWさんの翻訳記事でも伺い知れます
そのことを考えると、わたしには受賞作を腐す気分にはとてもなれないのです